日本民俗学の創始者 柳田國男(やなぎたくにお)

明治8年 兵庫県の福崎町に生まれ、東大卒業後、農商務省に入る。
明治42年 「後狩詞記」出版
明治43年 「遠野物語」出版後、民俗学研究所設立、著書も多数
昭和25年 日本民俗学会初代会長
昭和26年 文化勲章を受章
昭和37年 死去

 

明治42年柳田國男が「後狩詞記(のちのかりことばのき)」を著した。これが日本民俗学の最初の出版物であり、しかもその内容のほとんどが椎葉村の狩猟民俗に関して占められていた。

柳田國男が椎葉村を訪れたのは明治41年7月13日から一週間。当時の中瀬淳(すなお)村長と村内を巡り、猪鹿の狩猟習俗などを調査した。6日間椎葉の民家に宿泊しており、中瀬淳宅は、現在もそっくりそのまま残っている。庭先に昭和60年8月に建立した「日本民俗発祥の地」の碑が建てられている。

柳田國男が椎葉村に滞在した数日間、中瀬淳村長は、民俗学資料採集に積極的に協力。
また、柳田國男が椎葉を立つ時、中瀬氏は村境まで見送った。飯干峠の中腹で、昼食のにぎりめしを食べた時の一首

「立ちかえり又みゝ川のみなかみに
いほりせん日は夢ならでいつ」

と詠んだ歌を中瀬氏に贈っている。

中瀬氏は、後日同村大河内に所蔵している「狩の儀式」を記した巻物を復元し、柳田國男に送っているが、これが「後狩詞記」として世に出るきっかけとなったことはあまり知られていない。