ここらは、肥後の境をなす天井といってもいい。人跡未踏とはこんな地か。おそらく平家の男女も「……もはやここまで」と、かつての栄華など、前世のことのように、ただ露命を地につなぐだけの願いで、細々と煙を立てていたのだろう。
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大八郎は、追っかけおっかけ、それらの者の影を目にする距離まで縮めたが、「ああっ、待て、矢など放つな」思わず部下を制してしまった。「やあ、あわれ、女子どもがいる。武者も、こなたへ立ち向かう様子もない。ただ行く先を見届ければよいぞ」
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しかし、泣き声をつつんで逃げ惑う平家人らは、それとは知るはずもない。半日走った末、一群は五家荘から五木の方へ落ち、ほかの人数は、山方山の陰から十根川の細水に添って、そこの渓谷、椎葉の辺りへ、みな影を沈めてしまった
吉川英治筆跡は、「庭の山椒の木〜」の〝ひえつき節〟の碑が、鶴富屋敷の庭にあり、もう一つ、吉川英治自ら命名した「日向椎葉湖」の筆跡の碑石が、女神の像公園の一角に建ってある。